Episode12-セーヴォト


 ナゼルとの稽古を終え、自室に戻ったあたしは、軽く汗を流し、またカナに手伝って貰い身支度を整えた。
 次はセーヴォトとの勉強の時間だ。
 与えられた部屋の一つ、中庭から柔らかい日差しが差し込むお気に入りの応接間に向かうと、セーヴォトは既に来ていた。

 開かれたテラスの扉の前。静かな眼差しで、中庭を眺めている。
 声を掛ける前にセーヴォトはあたしに気付き、軽く会釈をした。

 気まずい、なんてものよりも、もっと他の何か。
 ナゼルと一緒だった時のほんわかした気持ちから一変して、一気に緊張する。何だか顔が合わせられず、 さり気なく視線を逸らして、いつもの場所に腰掛けた。
 気まずい沈黙が続いて、何か言わなくちゃ、と焦るものの言葉が浮かばない。
「セーヴォト、あの……」
 そう声を掛けたものの、何を言えばいいか分からなくて、結局中途半端にそのまま黙り込んで俯いた。

 ナゼルに対する気持ちとは違うけれど、セーヴォトも、あたしにとって大事な人である事は変わらない。
 答えを決めた時から、そう自分の気持ちを正直に伝えようと思っていたのに、こうやって…… いざ目の前にすると、何一つ言えなかった。

 続く沈黙にただ、膝の上で握り締めた自分の手を見つめたその時、微かにセーヴォトが微笑んだ気配がした。

「――ダリア様、気にしないで下さい」
 優しい口調。顔を上げると、いつもと同じ温和な表情がそこにあった。
「あ……」
 胸に焦げついたのは、確かな罪悪感。
「隣に座っても宜しいですか?」
 勉強の間は、いつも立ったままのセーヴォトが、そう問い掛けてきた。
 戸惑いながらもあたしが頷くと、ゆっくりと斜め前の席に静かに腰を下ろす。
 一呼吸置いて、小さな子供に噛んで含ませる様にセーヴォトはゆっくりと言葉を口にした。
「貴女が幸せであれば、私が申す事はありません。……おめでとうございます。ダリア様」
 いつもと変わらぬ微笑みを浮かべて、セーヴォトはそう言った。
「うん、……ありがとう」
 それ以上何も言えなかった。
 謝罪は何か違う気がしたし、無言のままでいるのも、おかしいと思ったから。

 しばらくしてから、セーヴォトは「始めましょうか」と微笑み立ち上がると、教本の頁数を呟き、朗読し始めた。
 男の人にしては低くない、耳に優しく届く声。この声ともあと暫くでお別れなのだと思うと、やっぱり悲しくなる。



 予定通りの課題を終えて、本を纏め始めたセーヴォトは、時計を見上げた。
 まだ終わるには早い時間だった。

 張り詰めていた空気は、最初に比べて随分和らいでいる。その事にあたしはほっとしていた。
 お茶の用意を部屋付の女官に頼んでから、そういえば、と前置きして、セーヴォトはあたしを見つめ、 少し困ったように眉を寄せた。
「ナゼルは公式の場でも、あの、額の布を取るつもりは無いのでしょうか」
「……え」
 突然、予想していなかった質問をされて、あたしは思わず声を上げた。さっき別れたばかりのナゼルの顔――ううん、布で隠された額を思い出す。

「……傷が、あるから……取るつもりは無いと思うけど」
 戸惑いながらもあたしはそう答えた。
 ――傷は残ったと聞いたばかりだ。
 自分の言葉がちくちくと胸に突き刺さる。

 そう、あたしを庇って受けた傷が、あの布の下に隠されている。
 あたしの答えを聞いてーヴォトは尖った顎に長い指を置き、少し考えるように首を傾けた。

「それが、どうかしたの?」
 セーヴォトが何か言うよりも早く、あたしは待ち切れなくて、そう質問した。
 セーヴォトはあたしの勢いに、少し戸惑った様な表情を作る。

「……いえ、ナゼルの衣装係に付いた者から相談を受けてるんですが……今度のダリア様の誕生式典の時に着る衣装なのですが、ナゼルが頑なに布を外したがらないので困っているのです」

 ……布を外したがらない?
 セーヴォトの言葉にあたしは驚く。という事は、傷跡を晒せない程、……酷いのだろうか。 ドラゴンスレイヤー時代に負ったという目尻の傷も、それなりに目立つ。あれよりも酷いとなると、 かなりの傷跡だ。

 ……そんな事一言も言わなかったのに。
 頭から一気に冷たい水を掛けられたように、全身が震えた。

 凄くショックだった。
 あたしの為に負った傷。
 あたしの専属護衛官じゃなければ、怪我をする事も無かった。
 あたしがあの時、城から出なければ、ナゼルが血を流す事もなかった。
 あたしがいなければ――

「もしや……その傷は……十年前のあの時の?」
 ポツリと呟かれた言葉に、あたしははっと我に返る。
 セーヴォトは遠い昔を思い出す様に目を細めていた。
 そう、あの事件があった当時は、次期女王の暗殺未遂として城内は騒然となったのだ。既にあたしの家庭教師を していたセーヴォトなら、当然知っているだろう。

 なんだかごちゃごちゃしてきた頭の中で、反射的に再び頷いて肯定すると、セーヴォトは、小さな溜め息をついた。
「だから私があの時、治療しましょうかと申し出たのに……」
 微かな非難を含んだ声音に気付き、あたしは顔を上げる。セーヴォトは複雑そうな表情をしていた。

「ナゼルが……断ったの?」
 セーヴォトは、元々魔導師協会に所属している魔術師。治癒系の魔法の腕は確かだ。
「ええ、私に仰って頂けたなら、……完治とまではいきませんが、……跡は残さずに済んだはずです」

 じゃあ、どうして?
 ナゼルだって当時から天才だと騒がれていたセーヴォトの腕は知っている筈だ。

 セーヴォトの手に掛かれば療養期間だって、痛みだってそのまま自然治癒させるよりも和らいだに違いない。
 ――どうして、なんだろう。

「……まぁ、自然に反する魔術を否定なさる方もいますから、ナゼルも男ですし、傷跡など残ってもいいと思ったんじゃないでしょうか」
 慰めるような口調でセーヴォトはそう言い、あたしはなんだか釈然としないまま、頷いていた。


2007.6.1更新




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