Episode13-エリス


 セーヴォトの言葉が引っかかったまま、あたしはダンスの練習室へ向かった。考え事をしていたせいで、いつのまにか早足になっていたらしい。
 気がついたら扉の前で、あたしは慌てて気持ちを切り替えた。
 うん。ナゼルにはナゼルの事情があるんだと思う。気になるなら、直接聞けばいいじゃない。とりあえず今は、ダンスと――エリスの事を考えよう。

 ぶっきらぼうな言葉だったけど、真っ直ぐ「好きだ」って言ってくれた。
 避けられてるって思ってたから、やっぱり……あたしは嬉しかったのだと思う。  けど、ナゼルが好きな以上、セーヴォト同様同じ気持ちをあたしは返せない。  セーヴォトは何も言わなくても許してくれた。何も言えなかったのは、傷つく顔を見たくないっていうあたしの弱さ。
 だからこそ自己満足かもしれないけど、エリスにはちゃんと伝えようって思った。


「……っと、まだ来てないのかな」
 そっと扉の隙間から室内を覗くと、まだ先生もエリスも見当たらない。ホッとしたのも束の間、後ろから声が掛かった。

「次期女王が覗き見なんてするなよ」
 呆れた様なその声に、あたしは思わず飛び上がる。
「エ、エリス……ッ」
 振り向いた後、一瞬逃げ場を探して視線を彷徨わせてしまったあたしに、エリスは大きな溜め息をついて、扉を開け、中に入る様に顎をしゃくった。
「ほら、とっとと入れって」
 乱暴なその言葉同様、ぶっきらぼうに手を差し出されて、あたしは驚く。
 今までこんな風に、手を差し出された事なんてなかったからだ。
「……うん」
 戸惑いながらもあたしはそっと手を重ねた。エリスは何も言わず、部屋の隅に置かれたソファに向かう。

 ゆったりした長椅子にあたしが腰を下ろすと、少し距離を開けてエリスも同じ椅子に腰掛ける。
 しばらく空白が空いて、さっきのあたしと同じ様に視線を彷徨わせていたエリスは、意を決した様に口を開いた。
「……お前と話したいと思って、ラギには時間を遅らせてくれる様に頼んだ。少しだけ俺に時間くれるか?」
 エリスの口調はいつになく淡々としていた。まるで知らない人みたい。あたしが頷くと
「とりあえず……婚約おめでとう」
 ゆっくりと目を閉じて、小さな声でそう言ってくれた。
 呟かれた声は、少し、震えている。
 ――ごめんね。
 心の中で呟いて、あたしはそれに気付かないふりをした。
「……ありがとう」
 あたしがそう答えると、エリスはようやくあたしの顔を見た。くしゃっとほんの少し顔を歪めて、――それでも、笑ってくれた。

 胸の奥がきつく締め付けられた気がした。
 ごめんね。応えられなくてごめんね。

「……好きって言ってくれて、すごく嬉しかった。ありがとう、エリス。想いには応えられないけど、エリスの事、大好きだよ。大切な人だと思ってる。……今まで側にいてくれてありがとう」
 あたしは一気にそう言って頭を下げた。そのせいで、エリスの表情は分らない。
   しばらくしてエリスは、勢いよく立ち上がった。磨かれ た床に映るエリスをあたしはただ見下ろしている。エリスは、あたしに背中を向けたまま、大きく伸びをしてみせた。

「……でも、ま。お前が選んだのがナゼルで良かったよ。セーヴォト選んでたら、俺絶対諦め切れないとこだった」
 軽い口調でそう言って、あたしの方に向き直る。その表情はすっかりいつもの……違う、あたしを避ける前の明るいエリスだった。
「……エリスは、ホントにセーヴォト嫌いだよね」
 精一杯笑って、気まずい雰囲気を押し流す様に、あたしも軽口を返す。
 エリスはわざとらしい程、あからさまに嫌な表情をした。くるくる変わるその表情に気持ちが少し軽くなる。
 ……そういえば、前にもセーヴォトの事鬼畜だとか言ってたっけ?
 エリスは、セーヴォトの事なんて考えるだけでも不愉快だとでも言う様に、顔を歪めて吐き捨てた。

「嫌いじゃない。大っ嫌いの間違いだ」
 ……それは、それは。ほんと、セーヴォトも嫌われたもんね。
 毛を逆立てた猫みたいに低く唸ったエリスに、あたしは苦笑して話題を変えた。
「そういえば、エリス。誕生式典が終わったら遊学に行くんだよね? 隣国って言ってたから、バーゼル?」
「……違う。マナだ」
 エリスの口から出た意外な国名に、あたしは少し驚く。
 あたしが言ったバーゼルは、ルノッケシアとも友好関係にある国だ。同じく鉄資源が豊富で剣術の盛んな国だから、エリスの性格からしてそうだと思い込んでいた。対してマナは、商業と芸術の街だ。特産など目立つ物は無いが、気候にも恵まれ、なだらかな起伏の山や湖に囲まれたその景色は、とても美しいという。古い歴史を持つマナならではの、古代建造物も手付かずで残っており、それ故に大陸の芸術家が集う場所と言われている。

「マナも捨てたもんじゃないぞ。それにナゼルの出身国だし」
「そうなの?」
 初めて知る事実にあたしは、顔を上げ、そう聞き返していた。
 あの、ナゼルがマナ出身? それはエリス以上に意外な話だった。
「お前なぁ、仮にも将来の夫だぞ。それ位知っててくれよ」
 呆れたようにエリスは溜息をつく。
 むっとして言い返そうとして、ふと、エリスがナゼルの名前を自然に出した事に気付いた。
 エリスとナゼルはあたしと同じ剣術の師弟関係だ。二人ともそれなりに仲がいいみたいだけど、……今回の事でやっぱり何か変わるのだろうか。
 ふと、そう思ってあたしはすぐに否定する。
 きっと、二人ならそうはならないだろう。漠然とそんな気がした。
「……あたしだって知ろうとしたど、ナゼルが……」
 中庭での会話を思い出しあたしは、違和感を憶えて、あたしは途中で言葉を止める。

 そういえば、あの時―― そうだ。ドラゴンスレイヤー時代の話をして、ってせがんだら 、ナゼル急に話題を変えたよね……?

 忘れていた不安が、またじわりと膨らんでくる。
 なんだか悪い予感がするのは気のせい、だろうか。

「……結局、お前が選んだのはナゼル。まぁ……あの時に、もう決まってたかもしれないな」
「え?」
 エリスが独り言の様にぽつりと呟き、考え事していたあたしははっと我に返り問い返した。
「あの、時?」

「ほら、えーと、もう十年になるのか、城抜け出して、裏道に入って暴漢に襲われたろ。ナゼルが大怪我して騒ぎになったじゃないか。覚えてるだろ?」
「……うん」
 忘れられる訳がない。
 また、この話題だ。何だか今日はこの話ばかり。
 少し疲れた気分で頷くと、エリスは自嘲気味に笑った。
「暴漢に襲われたあの時、お前に刃が向いても俺は一歩も動けなかった。そこにナゼルがやってきてさ、騎士みたいにお前の事庇ったんだよ」
「だって、エリスまだ子供だったじゃない」
 当時エリスはあたしと同じく十歳。剣術だってまだ習う前の話だ。そう、あたしだって何も出来なかった。ただ庇われた背中の向こうに見えた暴漢をただ睨みつける事しか出来なかった。

「……好きな女守るのに、年齢なんて関係無いんだよ」
 憂いを帯びた横顔は悔しそうに見える。……そんな風にエリスは考えていてくれたのか。
 けど、あたしは。
「自分の為になんか、傷ついてほしくなんかなかったよ」
 思わず言葉にしてしまった呟きに、エリスは不信気な表情をした。……ああそっか。エリスは知らないのかも知れない。ナゼルの額の傷跡を。
「まぁ、その時に思ったんだよ。颯爽と現れてお前を助けたナゼルは、憎らしい位格好良かった。お前と一緒にナゼルに剣を教えて貰って十年たつけど、全然歯 ぁ立たないもんな」

 エリスはそう言ってから、少し笑った。そして、立ち上がり、窓を開け放つ。冷たい風が部屋に吹き抜けて、エリスの柔らかい金髪を靡かせる。

 あたしは、何も言わず日の光に反射してきらきら光るエリスの髪を見つめていた。
 ずっと同じではいられないのだ。
 セーヴォト同様、エリスもこの城から出て行く。
 もうエリスのこの綺麗な髪も、女の子みたいな可愛い顔も、怒鳴り声も、聞けなくなっちゃうんだ……。

 暫くして、そうだ、とエリスが何か思い出したように顔を上げた。
「明日のダンスの練習、休ませて貰っていいか」
 一月後にはマナに行くのだ。きっとその為の準備があるのだろう。
 あたしが頷くとエリスは、少しほっとしたように笑う。
「良かった。マナ行く前に、……処分、しときたい物があったんだ」
 あたしに、と言うよりはまるで自分に言い聞かせるような小さな声だった。そして背中を向けたまま、ポツリと呟いた。

「――幸せに。ダリア」

 


2007.6.1更新




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