Episode14-ナゼル


 ダンスの練習を終え、あたしはまるで逃げる様に、部屋を後にした。
 長いドレスの裾が足にまとわりついて、何度も転びそうになる。それでも駆け足で廊下を走り抜けて、自分の部屋に飛び込んだ。


「……っ」
 噛み締めていた唇を緩めると、涙がこみ上げてきた。思わず両手で顔を覆うと、堪えきれなかった涙が頬を伝い、あたしは小さく嗚咽をもらした。
「……ぅ……っ」
 閉じた瞼の裏にエリスの、あの、表情が浮かんで、そのまま焼きつく。
 ――応えてあげられなくてごめん。
 そのまま扉越しにもたれたけど立っていられなくて、ずるずると座り込む。一度溢れた涙はもう抑えられなかった。
 間違ってたのかな。
 あたしはただ答えを出せた事が嬉しかった。
心のどこかでは、しばらくすれば元通りなんて、軽く考えてたのかもしれない。いつも一緒だった。ナゼルを選んだ以上傷つける事になるって分ってたはずなのに――覚悟が出来てなかった。
 何度も心の中で謝る。
 悲しい筈なのに、笑っておめでとう、って祝福してくれた。
 ――あたしが同じ立場だったら、絶対出来ない。
「凄いよ……」
 あたしなんかよりもっと素敵な人は幾らでもいる。
 早くエリスが、たった一人の人を見付けて幸せになれますように。
 あたしは心からそう願った。










 フォークとナイフを置いて、あたしはすぐ近くにいた給仕に下げてくれる様に促した。母の計らいで今日からナゼルと一緒に夕食を取る事になったのだ。
 いつもとは違う、騎士の制服に身を包んだナゼルが扉から入ってきた時、あたしはその凛々しさと違和感の無さに凄く驚いてしまった。

 ……意外に、あーいうちゃんとした服も似合うんだ。
 格好いい、と素直にそう思って、一瞬浮かれそうになった自分を――腹立たしいと思った。
 ……そんな状況じゃないのに。

「姫さん。もう食わねぇのか」
 割と小さめのテーブルだから、それ程席は離れていない。
 気遣わしげに声を掛けてきたナゼルに、あたしは小さく笑って答えた。
「うん。ちょっと食欲無くて」
 かなり残してしまったあたしとは反対に、ナゼルのお皿は空だった。次々と平らげていく豪快なその食べっぷりは見ていて気持ちいい。暫くしてからデザートが出て、あたしはそれに中々手をつけられずにいると、とっくに片付けていたナゼルが「ごちそうさん」と言って、立ち上がった。
「姫さん、ちょっと話があるんだけどいいか」
 幾分真面目な表情でそう言ったナゼルにあたしは戸惑いながらも頷く。
 少し考えて、応接室に場所を移す事にした。







 あたしが先頭に立ち、セーヴォトに勉強を教えてもらっている部屋に向かう。
あたしは先に入って、ナゼルを迎え入れた。
 部屋付の女官のお茶の申し出を断り、ナゼルは物珍しそうに部屋の中を見渡していた。

 女官の足音が遠ざかったのを確認してから、ナゼルは口を開く。
「姫さん、何かあったか?」
 気遣わしげなその声音にあたしは顔を上げる。いつのまに側に来ていたナゼルがあたしの顔を覗き込んでいた。
「どうして……?」
 一呼吸置いて笑って見せたたけど、ナゼルは誤魔化されてはくれなかった。
「目、赤い」
 短くそう言ってナゼルの指が伸びてくる。
 冷たいその指が、まだ少し熱を持った瞼に触れた。
 ……腫れない様に、冷やしたんだけどな……。
 すっかりお見通しなのか、とあたしは苦笑する。
 心配そうなナゼルの瞳に、胸の奥から何か湧き上がってきて、不覚にもまた涙が込み上げてきた。奥歯をぎゅっと噛み締めて、それを堪える。
「気のせい……」
 じゃない? と呟いて俯いたと同時に、ぐいっと強引に身体が引き寄せられた。温かい腕。ナゼルが抱きしめたのだと分るまで、少し時間が掛かった。
「ナ、ゼル……?」
 厚い胸の中もがくように隙間を開け、そう名前を呼ぶと、一層抱擁がきつくなる。

「……そんな表情すんなよ。どうしたらいいか分からなくなる。全部言っちまえよ……っていうか、大体想像つくけどな?」
 子供をあやすような優しい声。
 ああ、駄目だ。今、優しくしないで。
 あんなに泣いたのに、また涙が出てくる。
 辛いのはあたしじゃなく、エリスやセーヴォトなのに。
「姫さんは優しすぎるのが難点だよな」
 優しくなんてないよ。
 あたしがあんな悲しい表情させた。
 あたし一人だけがこんなに暖かい胸の中にいていいのだろうか。

「……エリスがね……、幸せに、って笑って言ってくれたの。傷つけたくなかった。だけど……上手く言えなくて」
 頭ごちゃごちゃのまま、思い浮かんだ言葉をあたしはただ吐き出していた。
 その間に大きな手があたしの背中に回って、労わるように撫でてくれる。我慢してきた感情が堰を切って溢れて、自分でも涙をとめる事は出来なかった。
 聞き終えたナゼルは、その手を頭に移動して、髪を梳る様に動かしている。その動きはとても優しかった。
 暫くして、ナゼルは静かに口を開いた。

「エリスはさ、姫さんに笑ってて欲しいから、……無理してまで笑ったんだと思うぞ」
 まるで確信してるみたいに、深く頷いてみせた。
「……あたしに、笑ってて欲しいから……?」

「『幸せに』って言われたんだろ。じゃ、幸せそうに笑っててやれよ。こんな辛気臭せぇ顔してるよりエリスだってセーヴォトだって笑ってる方が嬉しいに決まってる。勿論俺だってな?」
 最後は茶化すようにそう言ってナゼルは大袈裟に首を竦また。
 こういうナゼルの優しさが、本当に好きだ、と思う。  ナゼルの言葉が心に優しく伝わる。じわりじわりと胸に染みて、罪悪感が軽くなっていく感じがした。

 笑ってていいのだろうか。
 あたし幸せでいいのかな。
 エリスはそう思ってくれているだろうか。

 ――そうなら、やっぱりエリスは凄い。
 子供みたいにナゼルの胸に顔を押し付けて、あたしはゆっくりと息を吐く。

「……うん」
 あたしはナゼルが好き。この気持ちだけは譲れない。それだけは忘れずにいよう。


「ほーら、姫さん、笑ってみな」
 ナゼルはそう言うと、やや強引にあたしの顎を掴んだ。 上を向かされて、ナゼルの瞳とぶつかる。
「……ぅ、やっ、顔、みっとも、ないんだから……っ」
 目は泣きすぎてじんじんと熱い。きっと真っ赤で腫れてるんだと思う。
 再び俯こうとしたその時、にっと意地悪な笑みを浮かべたナゼルの顔がどんどん近付いてきた。
 額に柔らかな感触。それが小さな音を立てて離される。
 ……っ、何、今の……っ
 今、おでこに……っ!
「ちょ、……っ」
 ナゼルの突然の行動に、あたしは思い切り首を振って、腕から逃れようとしたけれど、ナゼルの腕はしっかり腰に回されびくともしない。
 最後の抵抗とばかりにじろり、と力いっぱい睨んでみたけれど、ナゼルはそれを笑って受け流して、顔のあちこちに唇を落としていく。
 優しく柔らかな感触は次第に、あたしの身体から力を奪っていく。
 口付けは瞼や鼻先、頬に下りていき、そして、最後には唇に重ねられた。


 


2007.6.8更新




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