Episode15-カナ





「……今日は剣術の稽古無し?」
 思わず聞き返してしまったあたしに、カナはてきぱきと寝台の上の寝具を整えながら、はい、と頷いた。
「ええ、国境にドラゴンが出まして、ナゼル様にお声が掛かったのですわ。明け方近くでしたから、伝言を頼まれまして」
 腕にシーツを抱え込むと、猫みたいに目を細めてにやりと笑いあたしを見る。
『まぁそんなに離れるのが寂しいのですか。仲が良くって宜しいです事』
 まるでそう顔に書いてるようで、あたしはその視線から逃れるように、カナから離れた。
 くるりとカナに背中を向けて、用意して貰った水の中に手を突っ込む。冷たくて気持ちいい。寝不足で重かった瞼がようやくしっかり開いた感じだ。

「そうなんだ。……危険は無いの?」
 極めて冷静にそう問うと、笑いを噛み殺している気配がした。素直じゃない、とか思ってるんだろうな……。 カナが頷くのを横目で確かめ胸を撫で下ろしてから、あたしは顔を洗い始める。 
 確かに、昔ドラゴンスレイヤーとして名を馳せたナゼルはこういう非常事態で一番先にお呼びが掛かる。国境沿いには深い森があり、そのまた奥にドラゴンが住んでいて、これまでも何度か同じ事があった。

 ……怪我とか、しなきゃいいけど。
 不安な気持ちを顔に出してしまったらしい。
 カナはあたしにタオルを差し出すと、優しく微笑んで言葉を続けた。
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ。ドラゴンといってもまだ子供の様ですし、そのまま森に帰す事になるだろうって仰っていました」

「そっか」
 カナの言葉に、心からほっとする。
 別にナゼルの腕を信じてない訳じゃないけど、やっぱり不安になる。

「……助かったのかな」
 カナに聞こえない様に、あたしは小さな声でぽつりと呟いた。 
 そんなに危険な任務じゃないなら、あたしとしては助かったかもしれない。 だって昨日の今日で、どんな顔して会えばいいのか分らなかったし。

 昨日慰められながら、唇を重ねて。
 はっと我に返ったあたしは、体中の血液が沸騰したかと思うほど赤くなってしまった。
 ……だって初めてだったんだもん。婚約中って事になってるんだから、そりゃいつかは、なんて思ってたけど、……あれは、色んな事があった後だし、急すぎたと思う。

 次の瞬間にはナゼルを突き飛ばして、ソファの一番向こうまで後ずさったあたしに、ナゼルはぷっと吹き出した。
『姫さん、可愛いなぁ』
 手を伸ばしたかと思うと、真っ赤に染まっているであろう頬をぷにぷにと摘んでナゼルは面白そうに笑う。
『……っじゃあ、また明日っ!!』
 そう言って逃げる様にナゼルを顔も合わさないまま部屋を出てしまったあたし。冷静になって考えれば、不意打ちだったんだから怒れば良かった、とか、明日どんな顔して会えばいいのか、とか、……結局昨日はナゼルとのキスの事が離れなくって、一晩中眠れなかったのだ。


 まぁ。そのお陰でエリスへの罪悪感を少し忘れる事が出来たんだけど……まさかそこまで計算じゃないよね。
 ふとそう思いついて溜息をつく。
「……」
 ああ、でもナゼルの事だからありえそう……。きっとあたしがナゼルに敵う日なんて来ない気がするな。

 それに、思えば肝心な――額の傷の事を聞き忘れてたのよね。
 きっと特に深い意味は無いって笑い飛ばしてくれる。じゃあきっとこの胸のもやもやみたいなのもすっきりするだろう。
 
 
 
「戻ってきた時にでも聞けばいいか……」
 一旦、ナゼルの事を頭から無理矢理追い出す。
 さて、午前中の予定がまるまる空いちゃったな。のんびりしたい所だけど……、ダンスの練習に当てるべきよね。自分でも分かる位上達してないし。

 今日はエリスもいないし、一人でのんびりしよう。
 あたしはそう決めて、ダンスの練習用のドレスをカナに出して貰う事にした。







 自主練を終えてあたしは部屋から出る。雨でも降るのか部屋の中は蒸した様に暑かった。

 熱中しすぎたらしく、昼食の時間をとっくに越えている事に気付いて、あたしは小さく唸った。
 ……昼食はともかく、セーヴォトの勉強の時間に遅れる訳にはいかないのよね。前科持ちなんだし。
 あたしはせめて午後の勉強の時間の前に湯浴みだけはしておきたいと、王宮の裏庭を通り近道する事にした。……セーヴォト辺りに知られると、はしたないってやんわり叱られちゃうんだけど。



 渡り廊下を抜け、薔薇の垣根を越えた辺りで、誰かの叫び声が耳に飛び込んできた。
「……?」
 誰の声?
 何となく気になって、一旦立ち止まり耳を澄ます。 
 
「――せよっ」
 再び聞こえたその声は、エリスのものだった。
 
 ……なんだろ。
 エリスの怒鳴り声なんて珍しくは無いけど……、確か今日用事あるって言ってたのに、こんな人気の無い場所で何してるんだろう。
 声のした方に視線を向けて目を凝らすと茂みのその奥に、長い銀髪の後ろ姿が見えた。






「……セーヴォト?」
 長身の細身。銀髪とくれば、城内にはセーヴォトしかいない。
 エリスとセーヴォトという珍しい組み合わせに、興味が湧いて、そちらに足が向いた。近付いていくに従って二人の会話が聞こえてくる。

「……これなんて際どいですねぇ、さすが青少年の妄……いえいえ想像力は逞しい」
 楽しそうな呆れたような微妙な声音のセーヴォト。近付くにつれ、セーヴォトの向こうに柔らかそうなエリスの金髪が見えた。
「いかがわしい想像すんじゃねぇよッ! べ、別に、普通にモノ食ってるだけだろうがッ」
 噛み付くような勢いで怒鳴るエリスに、何故かあたしがたじろいてしまった。うわ、エリス本気で怒ってるよ。……よくあんな表情で睨まれてセーヴォト怖くないよね。

「いやはや恐ろしい……」
「人の話聞けよコラッ!」
 声を掛けるタイミングが掴めなくて、あたしはどうしようかと立ち止まったその時、セーヴォトがゆっくりと振り向いた。

「ダリア様」
 微笑を浮かべたセーヴォトとは対称的に、エリスの顔が引き攣った。
 どうやら悪い場面に出くわしたらしい。
「ダリア……!?」
「……ごめん、声がして。気になったから……」
 そう言ってなんとなく俯く。
 ナゼルの言葉で吹っ切れたつもりだけど、やっぱりエリスと顔を合わせると、どうしたらいいか分らなくなる。
 いつも通り、いつも通りと自分に言い聞かせてから、無理矢理笑顔を作り、顔を上げた。

「二人で何してたの?」
 無言のままのエリスの視線を追ってみると、その先には随分と古い焼却炉があった。
 灰色の煙が空に向って伸びていて、パチパチと火の爆ぜる音が微かに聞こえる。

 何か、燃やしてるのかな……?
 人を使わず、わざわざエリス自らこんな場所に来るなんて、よっぽど重要なものとか?

 首を傾げたあたしにエリスは、あからさまに視線を泳がせた。

「別になんでもねぇよ。ほら、もうさっさと行け」
 ふてくされたようにそう言って、犬でも追い払うようにしっし、と手を動かす。
 ……ひどいなぁ……。そんなに見られたくない物なんだろうか。
 明らかにエリスは隠し事をしてる。そこまで知られたくないなら、詮索するべきじゃないんだろうけど、気になるなぁ……。
 なんだか納得行かなくて、焼却炉を観察していたら、肩にそっとセーヴォトの手が乗せられた。
「さぁ、ダリア様、次はお勉強の時間ですね。その前に湯浴みでもなさいますか」
「え、……ああ、そうだった」
 セーヴォトの言葉にあたしは慌てて思い出す。
 そういえば、時間が無いんだった!

「じゃあ、エリス様、こ失礼致します。……ああ、これは頂いていきますね」
 セーヴォトはそう言うとひらり、と大きな白い紙をエリスの前に掲げた。あたしからはよく見えない。
「……っうわ、いつのまにっ、それは俺だって一番気に入って……ッ」
 勢いよく飛びかかったエリスに、セーヴォトはひょいと身をかわす。
「往生際が悪いですよ。エリス様」
「ッお前もだろうが!!」
 にっこりと微笑むセーヴォトに、虚しく宙を切った両手を震わせて怒鳴るエリス。
 ……何だかセーヴォト、凄く楽しそうなんだけど。

「――さぁ、行きましょうか、ダリア様」
「え、う、うん」
 こっそり振り返ってエリスを見ると、明らかにほっとしている感じだった。
 セーヴォトの手の中には二つに折られた白い紙がある。
 あれ、が原因なんだと思うけど、きっと頼んでも見せて貰えないんだろうなぁ……。
 何となくそう思った。


 廊下に足を踏み入れたセーヴォトは、何か思いついたように顔を上げ、振り向いた。
「――エリス様、これは貸しですからね?」
 ぎょっとしたようなエリスの表情。零れそうな程大きく目が見開かれ、次の瞬間には憤怒の表情でセーヴォトを睨みつけていた。

 ……こわっ!
 二人のやり取りを黙って見ながら、こっそりとあたしはそう思う。








「――ダリア様」
 二人で渡り廊下に戻り、部屋に向かおうとしたあたしをセーヴォトが呼び止めた。
「昼食がお済みなられましたら、すぐいつもの部屋に来て頂けますか? ……勉強の前に、少しダリア様のお耳に入れておきたい話があるのです」

 セーヴォトはそう言うと、眼鏡の縁に指を掛け、深刻そうな表情を作った。
「……え……」
 さっきまでの楽しい気分が消えて、どくん、と胸の中の何かが騒ぎ出す。
 ……何だろう。

 予感、とでも言うのだろうか。忘れていた不安が急速に広がった。


 


2007.6.15更新




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