Episode18-ナゼル




 ナゼルの姿が見えなくなってから、既に三日が経過していた。適当にでっちあげた不在理由もそろそろ限界だ。
 既に城内には現女王と同じく、次期女王も婚約者に逃げられたのだと、噂が流れているらしく、カナが顔を真っ赤にさせて怒っていた。
 それをどこか他人事の様に感じるあたしは、壊れてしまったのだろうか。けれど胸は重くて苦しくて時々息が出来なくなる。動くことの出来ない自分の存在が疎ましくて、切ない。
 きっと父の葬儀を執り行った母も同じ気持ちだったのだろう。だって今の自分の顔は、あの時の母と全く同じ顔をしているから。

 セーヴォトもまだ帰っておらず、エリスは遊学の準備の為、一旦実家に戻っている。こんな時に限ってあたしの周囲は、とても静かだった。

 セーヴォトが用意してくれていた課題をしていたあたしは、文字が読めなくなって初めて、空が夕闇に包まれていた事を知る。本に栞を挟んで一旦閉じると、自分で明かりを灯した。
 ふと、窓から差し込む柔らかな月光に気付く。
 淡く発光したそれが温かそうで、釣られるように、あたしはテラスの前に立った。



 少し冷たい風を感じて、じんわりと頭に鈍い痛みが走る。
 身体のだるさは、ここの所眠れないせいだろう。
 静かな寝室で一人目を瞑ると、瞼の裏にナゼルの顔が思い浮かんで、あの人の声が、笑顔が、抱きしめてくれた時の身体の熱さが、あたしを包み込んで、どうしようもなく悲しい気分になるのだ。

「……しっかりしなきゃいけないのに」
 そう思うのに、慣れた体は事務的に習慣をこなし、一日を終える。気持ちが伴っていない。本当にこんな事で女王になれるのだろうか。不安が胸に押しかかる、こんな時こそ彼に会いたい。会っていつもの様に『大丈夫だよ』って言って欲しい。一目だけでも顔が見たい。せめて声だけでも聞きたい。

「……会いたい、よ」
 思わず漏れたあたしの呟きは、すっかり日の落ちた黒い闇に吸い込まれた。
 目尻に浮かんだ涙を指で拭い、庭先に視線を戻したその時、――がさり、と草を掻き分ける派手な音がした。
 暗殺者にしては気配が大きすぎる。
 あたしが使っている離宮は入り組んでいて、迷う者も多い。きっとその類だろうと、あたしは警戒心を緩め、驚かせない様に小さな声で問い掛けた。
「……誰?」
 そう呟くと同時にすっかり日の落ちた黒い庭から大きな影が這い出てくる。ゆらりと大きく揺れて現れた影にあたしは呆然と立ち尽くしてしまった。

「よぉ……姫さん」
 にやっといつもの様に笑って軽く右手を上げるその姿は、間違いなく――ナゼルだった。
「……ナ、ゼル」
 夢に見るほど会いたかったその姿を見て、呆然と呟く。
 信じられなくてあたしは穴が空くほどナゼルの顔を凝視して、すぐに違和感に気付いた。
 その精悍な顔に無数の傷がある。はっとして視線を落とすと、全身は泥だらけで、服は獣に裂かれた様に大きく破れ、その下には乾いたばかりの生々しい傷跡があった。その血の赤さに背筋がぞくりと震える。

「その、格好……」
 絶句したあたしにナゼルは自嘲する様に片頬だけで小さく笑う。そして、まるで糸が切れた操り人形の様に、その場に崩れ落ちた。

「ナゼル!!」



2007.7.6更新




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