Episode18-カナ




 温かいお湯に浸かっても、体の中の深い所はいつまでも冷えたままだった。パシャっと両手でお湯をすくって顔を洗う。そのまま小さく丸まってあたしは泣き続けていた。
 あの後――セーヴォトが部屋から出て行ってから、しばらくあたしはソファに寝そべったまま、呆然と天井を見上げていた。
 どうして、セーヴォトがあたしを暗殺しようとしたのか、どうして……あんな事をしたのか。
 いくら考えても答えは出ない。さっきまで熱かった身体が、急激に冷えて凍ってしまいそうだった。重くてだるくて、もういっそ考える事を放棄したくなる。

 そんなあたしを正気に戻したのは、小さく叩かれたノックだった。続いて掛けられたのは気遣わし気なカナの声。

 どうしてここにカナが……
 そう驚く一方で、信頼してるカナの声に体の緊張が解けてじわっと目頭が熱くなった。溢れた涙を力任せに拭い、手早く身支度を整え、ソファから立ち上がる。足が少し震えたけど、どうにか立つ事が出来た。
「……どうぞ」
 深呼吸してから返事をすると、すぐに扉が開き、カナが部屋に入ってきた。
「気分はどうです?」
 心配そうに吐き出された言葉に、あたしは息を止 める。まさか先程の一件をカナが知っているのかと、一 瞬背筋が冷えた。問い返すよりも先に、カナが足早に あたしの元へ駆け寄りソファに座るように促す。
「急に目眩を起こされたとセーヴォト様に聞きました。 ……ああ、やはり顔色が悪いですわね」
 汗で張り付いた前髪をかきあげて、カナは小さく頷くと 手にしていたケープを肩にかけてくれた。
 何気なく出されたセーヴォトの名前に、ぎしりと胸が軋む。
 ……どうして……。
 沈黙をどう誤解したのか、 カナは意味ありげにあたしを上目遣いで見て口の端を上げた。
「婚約したと言っても少しは控えて下さいね。 せめて私に位行き先は仰って下さい。 お部屋にいなくて随分探したんですよ?」
 逢い引きでもしていたのだと勘違いしてるのだろうか。 いやに楽しげなカナの言葉はとても無邪気で、冷えた心に突き刺さった。
「……ごめんなさい」
 これ以上聞きたくなくて、あたしは気分が悪い振りをしてそれだけ呟いた。
「……ほんとに大丈夫ですか? もう少しこちらでお休みになられた方が……」
 心配そうな表情に、泣きたくなる。全てを話してしまいたかった。
 けれど。
「ううん……」
 あたしは結局ゆっくり首を振る事しか出来なかった。



 ――どうして話さなかったのか。
 なんて。答えはとっくに分かってる。 カナに限らず誰かに話せば、セーヴォトはきっと極刑を免れない。魔導師協会会長の実弟と言えども、 あたしは一国の王女で次期女王だ。
 自分を殺そうとした人なのに、それでもセーヴォトが死ぬなんて 考えられない。ううん、考えたくもなかった。

 白い湯気をぼんやりと眺めて、お湯の中に沈んだ拳を握り締める。
 ……あたし、こんなにもセーヴォトの事が『好き』なんだ。
 自重気味に笑って、ぱしゃりとお湯をはじく。

「ダリア様……大丈夫ですか?」
 白い湯気の向こうから心配そうなカナの言葉が掛かった。
「……もう出るよ」
 駄目だ。カナに心配掛けちゃ。
 浴室から出るとカナが着替えを手にし、部屋の隅に控えていた。
 その瞳が気遣わしげに細められた事に気付いて、あたしはなるべく 自然にカナから視線を逸らした。近付いて来たカナに着替えを受け取り、 着替えを済ませる。
 グラスに注がれた水を飲み干した所で、カナが少し迷う様に口を開いた。
「あの、エリス様とナゼル様がお会いしたいと部屋にいらっしゃってるんですが」
 遠慮がちに出された言葉にはっとする。
 あたしって馬鹿だ。自分の事ばっかりで。……あんな別れ方をした二人が、 心配してない訳が無い。

「……部屋に通しておいて」
 あたしの言葉にカナは驚いたように目を見開いた。
「こんな遅くにですか? 明日にでも出直して頂いた方が……」
「ごめん。大事な話だから。伝えたらカナはもう部屋に戻ってて」
 反論を押さえ込む為に少し強い口調で言葉を切る。 カナはほんの少しだけ考えるように黙り込んだ後、分かりました、と頷き浴室から出ていった。



* * *





 あたしが部屋に入ると、ソファに座っていたエリスははっとしたように顔を上げ、 立ち上がってあたしのそばまで駆け寄ってきた。
「お前どこ行ってたんだよ!」
 ナゼルも動きはしないものの、眉間に皺を寄せて気遣わし気な視線を向けてくる。
「あんまり心配させるなよ」
 ほっとしたようにほんの少し表情を和らげたナゼルはそう言うと、 まぁ座れ、とソファに視線を流した。それに素直に従って腰掛けて、 あたしは二人の顔を順番に見て静かに呟く。
「心配掛けてごめん、ね」
 二人は少しの間黙って、それからお互い顔を見合わせた。あ たしの態度に二人とも戸惑っているのが分かる。 きっともっと取り乱しているのだと思ったのだろう。
「いや……まぁお前が無事ならいいんだけど」
 その先の言葉が見つからないんだろう。エリスはそのまま黙り込むと、 苛立ちを抑えるように靴を踏み鳴らし、あたしの斜め前のソファにどかりと座り込んだ。
 しばらく部屋に沈黙が落ちる。
 一番初めに口を開いたのはナゼルだった。
「どこ行ってたんだ?」
 口調は穏やかだけど、ナゼルの目は痛い程真剣だ。 誤魔化しや嘘はきかないだろうと思いながらも、言葉が見付からなくて どうしても声にならない。

  「……セーヴォトと一緒だったのか」
 静かに続けられた言葉に、びくっと体が大きく震えた。 それが答えになってしまったらしい。それに気付いた エリスが勢いよく立ち上がりあたしを見下ろした。
「何もされなかったんだろうな!」
 客室でのあの出来事を思い出し、あたしは膝の上に置いた手を握り締めて 黙って首を振った。……危害は加えられてない。嘘じゃない。
 それに、あたしに触れる手は皮肉な口調に反して、優しかった……気さえする。
「……少しだけだけど、話をしたの」
 迷いに迷ってあたしはそれだけ口にした。
 巻き込んでしまった以上話さなければ、彼らは納得しないだろう。
 今になって思えば、ナゼルはきっとあたしの為にセーヴォトに挑み 確かめてくれたに違いない。
 それに一人で考えて答えを出すには重すぎる話だった。
 セーヴォトが否定しなかった事、それから最後の不思議な賭け を言い出した事を伝えようとあたしが口を開きかけた時、 すっと上がったナゼルの右手があたしを制した。






2007.1.25更新




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