|
Episode20-エリス ナゼルが部屋から去った後、あたしとエリスは話し合い、女王に相談する事にした。 エリスが国外でも有名な画家だと話した時の女王の目を、あたしは一生忘れられないだろう ――娘のあたしが呆れる程、あからさまに喜び、その目は金貨の様にキラキラと輝いていた。 『まぁそうなの。じゃあ東の離宮をアトリエにしたらどうかしら。あそこからの景色はなかなか良いし、中庭も整えなくちゃ、いるものがあったら女王権限で取り寄せてあげるわね』 上機嫌で歌うようにそう言って、わざわざ王座から下り、エリスの両手を取った。女王が椅子から立ち上がるなんて公式な行事を除いてここ数年見ていない。 それだけで女王の機嫌の良さが分かるというものだ。 『あなたのような人が娘の伴侶になってくれて嬉しいわ。私もまだまだ退位するつもりもないし、政治事は、私とダリアに任せて気兼ね無く絵を描いてちょうだい』 こうして女王はあっさりとエリスが絵を続ける事を認めてくれた。 そしてやはり、あたしとリンヅ叔父様のやりとりにも気付いていたらしく、どう裏から手を回したのか、次の日にはエリスの母であるカタリーナ様があたしを尋ねて来てくれた。 『本当にごめんなさいね。あの人は本当にもうどうしようも無いんだから』 未来の母に頭を下げられ、あたしは慌てて首を振る。 『何をしても敵わない女王へのコンプレックスがダリアちゃんに向いちゃったみたい。きつく言っておいたからもう安心してちょうだいね』 美貌を最大限に見せる優雅な微笑みを浮かべ、カタリーナ様はそう言った。 きっと母と叔父との間には色々あるのだろう。それ以来リンヅ叔父様とは顔を合わせれば、嫌味の応酬という、ある意味フレンドリーな関係を築いている。お互い遠慮が無くなった事が良かったのだろう。 それを見たエリスが『お前。女王に似てきたな』なんて言ったけど、聞こえなかった振りをした。……流石に自粛しようとその時思ったのは内緒だ。 * * * そしてあっというまに時間は過ぎ、ダンスも何とか及第点を貰い、 誕生式典もその後の晩餐会も滞りなく執り行われた。予定通り、 エリスとの婚約も国民に正式に発表され、その場で婚姻の日取りも決まった。 ![]() そして、二年後――。 あたしとエリスの結婚式が執り行われた。 十八の誕生式典を前に城を出ていったナゼルも駆けつけ てくれて、エリスと二人して久し振りの師との再会を喜んだ。 祝いに訪れた使者との謁見を終え、あたしはカナに付き添われ 疲れた体を引きずり自分の部屋に戻る。 「湯浴みの準備は出来ております」 ……正直パスしたかったけど、今日はなんと言っても新婚初夜だ。そうも行かないだろう。 (自分でもムード無いって分かるけど、もう寝たい……) 式典の準備に、女王から少しずつ任されてる執務も加わって、ここ数日あまり寝ていない。 挨拶の為に出たバルコニーでは太陽の眩しさにうっかり眩暈を起こしそうになった。 それを後ろから支えてくれたのは、勿論エリスだったけれども。 襲い掛かってくる眠気にゆらゆらと身体を揺らしながら、何とか湯浴みを終え、 あたしは初めて訪れる夫婦用の寝室に向かった。深夜を過ぎていたので、 一応念の為に、遠慮して小さくノックをする。 (あれ、寝ちゃったのかな……?) 待てども一向に返事は無い。音を立てないように慎重に扉を押し開く。部屋の中を見渡すと エリスはベッドでは無く、その近くの小さなソファに座っていた。 「……」 一心不乱にスケッチブックに鉛筆を滑らせているのが遠目にも分かる。 エリスだってあたしと同じ様に、式典の準備やら連日訪れる使者との謁見で忙しかった筈だ。 (疲れて無いのかな) なのに疲れた様子は無く、一心不乱に絵を描いている。 玩具に熱中している子供の様に、目の前のスケッチブック以外目に入っておらず ――楽しそうに、そして、どこか幸せそうに絵を描いているエリスにちょっとむっとする。 ……やっぱり、エリスってあたしより絵を描く方が好きなんだわ。 新婚初夜なのに。 自分がさっき思ってた事なんて棚に上げて、あたしは音を立てない ように忍び足で、エリスに歩み寄った。 「エーリスっ」 驚かせるようにソファの後ろに回りこみ、耳元で名前を呼ぶと、 エリスは大きく肩を上げ「うわっ」と叫び声を上げた。 「驚かせるなよっ」 くるりと振り返ってエリスは眉を顰める。 あたしは腰に手を当てると胸を張り、上から見下ろす様に口を開いた。 「だって、エリスったらあたしが入って来ても気付きもしないんだもん。 こんな日だっていうのに、冷たい仕打ちよね」 拗ねた振りして頬を膨らませば、エリスはすごく困った顔をして、 バツが悪そうにあたしを見る。 その顔は二年前に比べると随分男性らしくなったと思う。 長い前髪を後ろに撫で付け、細いけど鍛えている体は 、もうあたしの身長を越している。 随分遅い成長期ですねぇ、なんてセーヴォトに嫌味を言われていても 、エリスは嬉しそうだった。 あたしとしては『同じ目線』って言うのが、こっそり嬉しくて気に入ってたんだけど。 「何描いてたの?」 いたずらが成功した事に、いくらか機嫌を直して、あたしはひょ いっとエリスの手元を覗き込む。そこに描いてあったのは。 「……あたし?」 思わずそう聞き返してしまった。 いや、なんかあたしにしては美人過ぎ無いだろうか。でも、これ今日着てた婚礼衣装だし。 「今日、お前が綺麗だったから、記憶が薄れない内に描いておきたかったんだ」 照れる風でも無くエリスは淡々とそう呟き、出来を確かめる様に、 スケッチブックを目線の高さにして、じっと見つめた。 「……そ、っそうなんだ」 エリスは時々、こんな赤面もののセリフを無自覚に吐く。 (綺麗とかさらりと言わないで欲しい……っ) 赤くなった頬を見られない様にくるりと身体を返すと、視界に大きな寝台が飛び込んで来た。 思わず唸って思い切り目を逸らしてしまう。 ……いや、うん。 分かってはいるんだけど。 新婚初夜なんだから、そりゃ夜の営みなんかも勿論ある訳で。 それでもって相手は昔から知ってるエリス。幼馴染だからこそ、 こういう事って余計に恥ずかしい気がする。 すっかり固まってしまったあたしの肩を、後ろから誰かがぽんと叩いた。勿論エリス以外である訳が無い。 けれど、肩に置かれた手にあたしは過剰な程、反応してしまった。その事に気付いただろうに、 エリスが気を悪くした様子は無い。 「ダリア疲れただろ? 寝てもいいぞ」 寝ても、いい? 「――はい?」 思わずそんな声を上げたあたしに、エリスは寝台を指さした。 「連日の準備で、昨日も寝てないだろ。ほら、さっさと寝ちまえ」 当然、とでも言うようにさらりと言われて、あたしは戸惑う。確かに、そのまま眠ってしまいたいと思っていた位疲れている、けど。 「……いいの?」 「いいよ」 スケッチブックを片付けながら、エリスは何でも無い事の様に返事をする。 「……」 あれ、れ……? エリスがせっかく気遣って言ってくれた言葉なのに、……妙に、寂しいのは何故だろうか。 複雑なあたしの気持ちになんて気づくはずも無く、エリスはガウンを脱いで、 小さな明かりを一つ残し照明を落とすと、寝台にさっさと寝転んでしまった。 ![]() 置いてけぼりを食らった気分のあたしを見上げ、首を傾げる。 「なんだよ? 疲れた妻を労わってやろうと思ってんのに」 「え……あ、うん」 この場に相応しい言葉が見付からなくて、あたしは曖昧に頷くと、寝台に近寄った。膝から白いシーツに上がりこむと ぎしりとマットが軋む。 少し緊張してごろりと寝転がると、エリスの綺麗な顔が視界に飛び込んできた。 「お疲れさん」 微笑むエリスの顔は、どこまでも優しい。 「……エリスもね」 そうお互いに労いつつも、本当にこのまま眠ってしまっていいのだろうか、と迷う。 ……別に……、してもいいんだけど。 心の中にポツリとそんな呟きを落とし、じっとエリスの瞳を見る。 けれど、自分から言い出すのは絶対に嫌だ。……というか、一応女の子なんだからそこまで恥じらいを捨てたくは無い。 気分を変えよう、とあたしは頭の中で話題を探した。 「……ねぇ、エリス」 「なんだ」 「色んな事、あったね」 この二年間。 いや正確にはその少し前からだろうか。あたしはエリスを選び、エリスもまたあたしを選んでくれた。 二人で過ごした期間は、ほんの少し辛かったり、大変だったりしたけど、それ以上に幸せで楽しかった。いつだってエリスが 側にいてくれたから安心出来た。 「ああ」 懐かしそうに目を細め、微笑んだその表情に、愛しさが込み上げる。その頬に手を伸ばして、あたしはエリスの頭を抱え込む様に ぎゅっと抱きしめた。 「……襲うぞ?」 くぐもった声に、微かに熱が籠もったのが分った。背中に回された手がゆっくりと腰に回る。 「……いいよ。もう、夫婦なんだし」 驚く程素直にそう答える事が出来た。エリスは少し身体を離し、赤くなっているであろうあたしの顔を覗き込むと、 シーツに散らばった髪を掬い取り、指先を滑らせた。 「まぁ、そう言うと思ってたけど、な」 口角を上げてエリスはそう言うと、満足そうに笑った。にんまりと細められた目に、あたしは嵌められた事を知る。 「……騙したわね?」 「ははは、そう言うな。お前が本当に寝るならそれでもいいと思ってたんだぜ? まぁ自分でもよく持ったと思うよ。これがナゼルやらセーヴォトならとっくに襲われてるぞ。お前」 エリスの口から出された名前に、それぞれ顔を思い浮かべて、思わず笑ってしまった。 確かに……否定できない気がする。 ナゼルは久しぶりに再会したにも関わらず、下品な冗談ばっかり飛ばしてるし、セーヴォトだって、時々妙に色っぽくなって、あたしを居た堪れなくする。 エリスは――、婚約してから二人きりになっても、時々軽いキスを交わすだけで……何も無かった。けれど、時々熱の籠もった瞳を辛そうに伏せる事があって、それは、きっと我慢してくれていたのだろうと今なら分かる。 「……どうして待ってくれたの?」 あたしがそう問い掛けると、エリスはふっと吐息を漏らす様に笑った。 「誠意と謝罪、だな。二年前お前の事傷つけたから」 二年前――それはあたしの十八の誕生式典の少し前。 婚約破棄を言い出したあたしに、エリスが激昂して、あたしを無理矢理組み敷いた。 今思えばあたしが悪いのだ。エリスの気持ちも確かめず、自分一人で突っ走ってみんなに迷惑掛けた。 ナゼルの助言が無ければ、今のあたし達はきっと存在しないだろう。 「今、思えばバカだよな。俺は……捨てる事に拘ってた。 お前が選んでくれた事が嬉しくて――そして怖かったんだ」 「怖かった……?」 エリスの口から二年前の話が出るのは初めてだ。 何となく二人の間で、あの話に触れない事が暗黙の了解みたいになっていたから。 「ああ、ナゼルにもセーヴォトにだって何一つ勝るものなんて持ってなかったから、 何か代わりに大事なものを手放さなきゃ、お前を側に留めて置けない気がしてた」 「っそんな事……っ」 「過去の懺悔なんだから、黙って聞いてろ。……で、そんな不幸な自分に酔って、 周囲の事もお前の事もちゃんと見てなかった」 ふと、エリスの瞳が悲しそうに揺れる。 「あたしの、こと?」 エリスがふいに真面目な顔になり、あたしの名前を呼んだ。腰をきつく抱え込まれて、ほんの少し苦しいくらいの束縛が与えられる。 「――俺は、お前の側から絶対に離れない。……お前の親父みたいに置いていったりしない」 まるで誓うように言われたその言葉に、あたしは驚いた。 「f……知ってたの?」 二年前、頑なにエリスに婚約破棄を認めさせようとしたあたしの真意。 エリスが絵を捨てた事を後悔して――父様の様にいなくなる事が怖かった。 きっと耐えられない。あたしはお母様みたいに強くないから。 それなら最初から一人がいいと、まだ傷が浅い内にエリスを遠ざけようとした。 「原因に思い当たったのは、二年前のあの時だけど、…… まぁ元から、お前人一倍寂しがり屋なのは知ってたけどな?」 最後は得意そうにそう言って、エリスはあたしの首元に顔を埋めて囁いた。 「ずっとそばにいるから……俺のものになってくるか」 2007.10.26更新 |