Episode22-エリス




 あれから瞬く間に一週間が過ぎ、内乱騒ぎも未遂に終わったせいか、それ程後も引かずあまり話題に 上る事も無くなった。
 と言うよりは魔術師協会がラフィークに従属したっていう大きいニュースに取って代わられ たという方が正しい。大国の脅威に怯え老議会では各国と条約を交わすべき だと毎日議論されていて、その使者との謁見にあたしも呼ばれる事が多く、毎日 が慌ただしく過ぎていった。

 セーヴォトについても、婚約を解消し協会と共にラフィークに行くのではないかとの見 方が強い。実家に戻った彼からは何の連絡も無く、一部では一種の宣戦布告ではないかと 噂されている。

 そしてあたしはと言うと、出口の見えない迷路をまだ彷徨い眠れない日を過ごしてい た。
 ……多分、あたしはセーヴォトの言う真相には辿り着けたのだろう。
 希望的観測なのかもしれないけど、ナゼルが言った通り十年前の真相を追う事で カリウス家が内乱を企てている事を知らせてくれたのだと思う。
 どうしてそんな事をしてくれたのかは分からない。
『十年前の真相を探し当てればダリア様の勝ちです。 ……何でも貴女の願いを聞いて差し上げましょう』
 最後の言葉が今も耳に残る。
 気まぐれだったのか。ただのゲームだったのか。
 あたしはその賭に勝った事になるのだろうか。 ……なんでも言う事を聞いてくれると言った。

 もしセーヴォトが戻ってきたら、
 あたしは一体彼に何を願うのだろう。
 それに。
 どうしても分からない疑問。カナが言っていた通り、カリウス家が失脚し 暗殺は中止されたのに、どうしてセーヴォトは十年も城に留まり続けたんだろう。

 この国を掌握する事が狙いだとしても、十年も留まり続ける程の価値があるとは 思えない。
 目を通さなければならない書類を脇に寄せ、あたしは溜息をつく。
「分からない……」

 ――魔導師協会会長の実弟で 魔導を修め、その知識は至宝とまで言われているセーヴォト。正直うちみたいな小さ な国の王侶なんて勿体無いかもしれない。 ラフィークだってセーヴォトが噂以上の人物だと知ったらきっと諸手を挙げて 歓迎するだろう。
 それ位優秀な人物だったからこそルノッケシアの老義会は、 セーヴォトを次期宰相候補に推したのだ。 小さいが故に他国の干渉に怯える我が国を 守り、かつ大きくする事が出来ると思ったから。

 そう、国はセーヴォトを必要としてる。
 そして何よりあたし自身が、セーヴォトにそばにいて欲しいと思う。
 セーヴォトはあたしにどんな時だって嘘をつかなかった。もしあの賭も本当なら 願いはただ一つ。

 一度目を瞑り、深呼吸する。
 ――あたしは取るべき道は決まった。
 閉じた瞼の裏に映るのは、あたしを殺すの、と問い掛けた時のセーヴォトの顔。一瞬だったけど、確かに傷 ついた顔をしていた。思えばセーヴォトの態度が豹変したのはあの瞬間からだっ た。

 もしかすると――。

「――ダリア様?」
 カナに呼び掛けられてあたしは慌てて顔を上げた。
お茶の用意をしてきますと出て行ってから数分しか経っていないのにもう戻ってきたらしい。 部屋に入るまで全く気付かない自分に呆れつつ、カナに向かって、「何でもない」 と首を振った。
「……大丈夫ですか?」
 眉間に深い皺を寄せて問い掛けるカナの表情はどこか暗い。
 多分 婚約者を選ぶ時に、セーヴォトを 勧めた事に責任を感じているのだろう。
 ……セーヴォトを選んだ時、カナ本当に喜んでくれたもんね。
 これ以上心配掛けないように笑顔を作って頷き、あたしはふと思い立って問い掛けた。

「……ねぇ、カナ。セーヴォトは、あたしの事本当に好きだったと思う?」
 あたしの突然とも言える問いにカナは驚いたように目を瞬かせた。けど、すぐに 神妙な顔を作ると、言葉を選ぶ様にゆっくりと口を開いた。
「セーヴォト様はいつも穏やかで滅多に表情を崩す 事もありませんでした。……けれどダリア様とい る時だけほんの少しだけ人間らしく感情が出るんです。 少し不機嫌だったり和んでいらっしゃったり……私はそれを見るのが凄く好きでした」
 カナの言葉は意外だった。
 セーヴォトは冷静沈着で穏やかだとは思っていたけど、あ たしの前ではわりと感情が出ていた様に思う。ほんの少し黙り込めば不機嫌だな、 って分かるし、嬉しそうな時は目元が少し下がる。……ああ、あたしもそういう顔見るの 凄く好きだった。
「婚約をお決めになられてからは、私でも分かる位機嫌が宜しかったですしね」
 思い出すように目を細めて小さく笑う。それは久しぶりに 見る笑顔だった。
「そうなの……?」
 思わず零した呟きにカナが力一杯頷く。
「セーヴォト様がダリア様を愛してらっしゃる気持ちは本物だと思います。もし 王侶になる為の演技なら、もっと完璧に出来たと思いますから」
 確かにそうだ、と、カナの言葉にはとても説得力があった。

 ――だから、十年も側にいてくれたのだろうか。

「……有難う」
 気が付けばそう答えていた。
 あたしの言葉にカナは表情を歪ませ、泣きそうな顔で首を振った。カナの 顔が滲んで歪み、あたしも泣いてるんだとようやく気付く。
 二人して子供みたいに泣いて、ようやく落ち着いた頃あたしはある事に気づき、顔を上げた。
「……カナ、そういえば用事があるって出て行ったんじゃなかったっけ?」
 あたしの言葉にカナは、あ、と呟き彼女らしくなく慌てた様子で口元を押さえた。
「え、ああ! エリス様がいらっ」
「ここにいる」
 カナの言葉を誰かが遮った。いつからそこにいたんだろうか ――扉の影から現れたのは不機嫌な顔をしたエリスだった。
「エリス様! こんな場所まで!」
「待たせすぎなんだよ。実際忘れてたくせに」
 非難の声を上げたカナをエリスはじとりと睨みつける。 怯んだその隙に部屋に足を踏み入れると、あたしを真っ直ぐ見つめ静かに言い放った。
「話がある。……出来れば二人で」
 二人で?
 カナが心配そうにあたしを見ている。 安心させるように笑ってからあたしはエリスに視線を戻し頷いた。

 エリスの分のお茶を用意し、不安気な顔をしながらカナは部屋から出た。
 二人でしばらく無言のままお茶をすすり、 ぼんやりとバルコニーから見える庭園を眺めていると、エリスがぽつりと呟くように言葉を発した。

「さっきの話聞こえた」
 ……やっぱり。
 半ば予想していた事だった。聞かれて困る事じゃないけど、 やっぱりどこか照れくさい気がした。
 そう、と頷くとエリスは手にしたカップの縁を指でなぞりながら淡々と言葉を続けた。
「で、お前は? セーヴォトが戻ってきたら、結局どうするんだ?」
「セーヴォトが、戻って来たら……」
 戻るか戻らないか分からない。
 ううん、このままじゃ戻らない可能性の方が高い。
 だから、あたしは――。
 どう言えばエリスに伝わるだろうと口を開きかけたその時、 がた、っと目の前の机が軋んだ。テーブル越しに掴まれた右手 に驚いてエリスを見つめると、吸い込まれる様な青い瞳は、 心の裡まで見透かすように真っ直ぐあたしを見つめていた。

「――迷う位なら、俺と結婚しろ」
 握られた手よりも強いその声はエリスらしくない落ち着きを持っていた。 掠れそうな低い声は、まるで知らない男の人みたいで。
 違和感が思考を停止させて、まとまりかけていた言葉が、 綺麗さっぱり吹き飛ぶ。

 ――エリスと結婚する? 
『俺がその側で、この体全部使ってお前を守りたいと思う』
 エリスが告げてくれた言葉は覚えている。……まだ、あたしを想っていてくれているのだろうか。

 黙り込んだままただエリスを見つめていると、 エリスは何度か口を開きかけてまた閉じる、という行動を 繰り返した。そして。
「……俺ならお前を泣かせたりしない。ずっと側にいてやるから俺にしとけよ」

 あの時エリスを指名したなら、きっとこんな事態にならなかっただろう。
 口は悪いし乱暴だけど、エリスは優しい。きっと言葉通りずっと側にいてくれて、 女王として立つあたしを支えてくれる。

 唇をきつく噛み締めた。
 そうしないと弱音が溢れて、エリスに縋ってしまいそうだったから。
「セーヴォトなんて忘れちまえよ、な?」

 セーヴォト。
 握り締められた手は緊張しているのかひやりと冷たい。セーヴォトの手は意外な程 温かい事を思い出し、それに引き摺られるように真っ白だった頭に、セーヴォトの顔が浮かんだ。
 いつもそばにいてくれて進むべき道を示してくれた。あの優しい眼差し で見つめられて褒めてくれるその手の暖かさが好きだった。愛しいと思った。いなくなって欲しく なかった。ずっと側にいてくれたらと願った、だから、選んだ。
 ……隣にいて欲しいのは、今目の前にいるエリスじゃない。

 セーヴォトだ。

 好き?
 きっと凄く好き。
 想うだけで涙が溢れるほど。
「……ごめん」
 本当は答えなんて決まってた。
 カナに答えを肯定して貰って、エリスから確認されて、それ位しないと自分の気持ちに 自信が持てないないなんて、きっとあたしは弱い。

 最後くらい自分らしく想いを伝えて確かめたい。肝心な事だって曖昧なままで、 終わらせるわけにはいかない。一人の女の子としても女王としても。

 浮かんだ涙を乱暴に拭って、あたしはエリスに向かってきっぱりと宣言した。
「あたしはセーヴォトが好き。ラフィークにも魔導師協会にも譲れないし、譲らない」
 あたしの答えにエリスは一瞬だけ目を眇めて、それから苦笑する様に笑った。何故かそ の笑い方はナゼルにそっくりで、今ここにいない彼を思い出させた。

「……ついて来い。セーヴォトに会わせてやるよ」
 付け足された言葉に、あたしはただ目を見開き ただエリスを見つめた。




2008.2.9更新




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