Episode8-カナ



 白いシーツの上に仰向けに転がって、おもむろに瞼を閉じる。枕の下からほんのり香る花の匂いに気付き、そっと溜め息をついた。
「セーヴォト……」
 彼の気遣いが今は酷く疎ましい。
 ――どうして、こんなに優しいんだろう。

 結局、あたしは真摯なエリスの言葉に何て答えればいいか分からなくて、黙ったままだった。すぐに先生が来てくれてほっとしたのも束の間。その次の予定はセーヴォトとの勉強の時間だった。

 ナゼルの時と同様、緊張していたあたしにセーヴォトは柔らかな微笑みを浮かべて教科書を開いた。何もなかった様に話題にも出さず、昨日も今日も本当にいつも通り接してくれた。
 ……セーヴォトだけじゃなく、ナゼルだってわざと軽い口調で想いを告げてくれたんだと思う。その後の冗談も、私の肩の力を抜いてくれる為に違いない。
 エリスだって、あんな風にしか答えられなかったあたしを責めないでいてくれた。

 ――みんな優しい。
 あたしが誰が好きなのか、誰を選べばいいかなんて、いくら考えても分からなかった。

「どうしよう……」
 もう十数回は繰り返した呟きを口にして、あたしは猫の様に体を丸める。
 気付けば時はあっという間に過ぎていて、今日一日ぼんやりと過ごしてしまった。
 明日……違う、既に零時は過ぎて――今日。
 誰かを選ばなければならない約束の日。


 再び思い溜息を吐き出した時だった。
「――ダリア様。まだ起きていらっしゃいますか」
「……はい?」
 ノックの後、そう声を掛けられて、あたしは躊躇いがちに返事をする。
 どうしたんだろ……。こんな時間にこの部屋に来る事の出来る人間は限られている。
 入ってきたのは、想像通り女官のカナだった。就寝前だったのだろう簡素な寝着の上に薄いケープを羽織っている。
 ベッドの上で体を起こしているあたしを見て、ほっとした様に笑顔を浮かべた。

「こんな格好で失礼致します。遅くに申し訳ありません。明日の朝議の後、謁見室に来るようにと女王様からのお達しです」
 朝一番って事か……。しかも謁見室、官僚が居並ぶ中で答えると言う事は、重大な意味を持つ。そこは公式の場、次期女王が出した答えはそのまま官僚・貴族に伝わり、そう簡単には撤回出来ない。
 ずしりと胸に重いものが圧し掛かる。息苦しさを吐き出すように溜め息をつくと、カナは少し顔を曇らせて遠慮がちに口を開いた。
「……あの、眠れない様でしたら、何か温かい物お持ち致しましょうか」
 心配そうな口振りのカナに、あたしは気まずさを誤魔化すように苦笑する。
 カナにまで心配かけてるんだ……。
 ……そういえば、城中に言いふらした事怒るつもりだったんだけど、すっかり忘れてたな。
 でも、仕事が終わってもこうやって気遣ってくれる。
 その気遣いが嬉しくて、あたしは「お願い」と頷いた。
 ほっとした顔で頷き、かしこまりました、と頭を下げてから、カナは扉から出ていった。軽く身支度を整え、ソファが置かれた隣の部屋に移動し、ソファに腰掛けた所で盆を手にしたカナが戻ってきて、その支度の早さに少し驚く。

 手元の盆には湯気が立っているポットとカップが伏せられている。手際良く用意をしてくれているカナの手を見つめながら、あたしは小さな溜め息をついた。

「お悩みですか?」
「……うん」
 優しいカナの問いに、あたしは素直に頷く。
「――誰を選べばいいか、分からないの」
 一切の説明もせず、あたしは吐き出す様にそれだけ呟いた。
 カナは、全てを知っているのだろう。少し気の毒そうな表情で眉を寄せ、少し考える様な素振りを見せる。ゆっくりとあたしに歩み寄り、机に置いていたあたしの手を、その上から優しく握り締めた。
「……私的にはセーヴォト様がイチオシですけれど……、他の二人も甲乙つけがたい魅力がありますから、ダリア様が迷われるのは無理もありませんわね」
 苦笑する様に笑ったカナを見上げる。本当に寝る前だったのだろう。化粧を落としたその顔は女官の時と比べて幾分幼く柔らかな印象を受ける。
 ……カナ、セーヴォト好きだよね。というかホント女官達に人気あるんだ。
 昼間見たセーヴォトの柔らかな笑顔が脳裏に浮かぶ。

「……カナはなんでセーヴォトがいいの?」
 そう言えば改めて聞いた事なかったなぁ、なんてふと思い出し、あたしは何気なく質問した。
「そりゃあ、あの貴公子然とした雰囲気に麗しいお顔。その上博識で思慮深い。それに誰隔ての無い優しさ……でしょうか」
 うっとりした顔ですらすらと賛辞を連ねるカナにあたしは苦笑する。
「あ、うん。セーヴォト優しいよね」
 そう同意してから、ふと昼間言われたエリスの言葉を思い出した。
 ……確か「鬼畜」って言われてたよね。あれは、何だったんだろう。
 カナに聞いても分らないんだろうな……。
 ぼんやり考えるていると、カナの口が、微かに何か言いたげに動いた。
「どうしたの?」
 気付いたあたしがそう声を掛けると、少し考えるように黙り込み、そして、何か決心した様に一人で頷くと、内緒話を打ち明けるようにあたしのすぐ側まで歩み寄り、声を潜ませた。
「黙っていろと言われたのですけれど……今晩ダリア様の部屋に来たのはセーヴォト様からのご指示なんですよ」
「――」

「悩んでいるだろうから、温かい飲み物でも持って話を聞いてあげて下さいって。ほら、セーヴォト様が用意して下さったお茶ですから、……お飲み下さいませ、一味違うでしょう?」

「……そっか」
 あらかじめ用意してあったから、戻ってくるの早かったんだ。
 さっき感じた小さな疑問が解ける。けれどすっきりしたわけじゃない。さり気ない気遣いが嬉しくて、そして、申し訳ないと思う。
 促されるまま、カップに口をつける。
 甘いながらも爽やかな酸味のある独特の味。……あたしが一番好きなお茶だ。

 ――セーヴォトは、優しい。
 温かい液体が喉を通って体中にいきわたる。
「……余計に混乱させてしまいましたでしょうか」
 カナの言葉にあたしは曖昧に笑う。カナはまた暫く黙り込んで、遠慮がちに言葉を紡いだ。

「では……、消去法でお考えになられては如何でしょう。お三方共数ヶ月にはここを出ていくのはご存知ですよね?――ダリア様は誰がいなくなるが、一番お辛いですか?」

「……え」
 それは思ってもいない言葉だった。
 そう、確かに彼らはいなくなるのだ。残るのはただ一人だけ。あたしの隣に誰かがいて、誰かはいない。

 ……誰が消えるのが、一番――

「――」

「大切なものは、失って初めて気付くものも多いですから」
 妙に現実味のある重たい言葉だった。
 あまりあたしと年齢の変わらないカナにも、そんな誰かがいたのだろうか。

 いつもと違う寂しげな声音に驚いて、カップを手にしたままカナを見上げる。
 目が合うとカナは、口元に手をやり、くすり、と小さく声を立てて笑った。
「私はダリア様の幸せを願っております。あのお三方のどなたでも、間違いなくそうなるでしょう。あるいは――」

 カナはそこまで言うと、ゆったりとした微笑みを浮かべた。眇められたその瞳が何故か母のそれと被った。



2007.5.11更新




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